史跡名所

 
 

水晶山

   水晶山は標高67mほどの小さな山で、山頂やふもとからの狩野川の眺めはすばらしく、山の上部には、海岸で特徴的にみられるウバメガシが見られます。内陸部でこうしたウバメガシが群生しているのは珍しいことです。この山は伊豆が海底火山だったころの地層で、かっては水晶も採れたということです

   水晶の鉱脈は、対岸の大仁金山の金と同じように、地下の高温の温泉水の影響で鉱脈ができたと考えられています。水晶山は、伊豆半島ジオパーク「水晶山・大仁橋ジオサイト」です。

 

 
 
 
 
大仁神社

 大仁神社は静岡県伊豆の国市大仁に鎮座している神社です。大仁神社の創建は平安時代初期の大同年間(806~810年)に大仁に住んでいた人々が産土神として日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。

 開運、福徳、治水、酒造に御利益があるとして社運が隆盛しましたが寛永2年(1625)火災により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し一時衰退します。正徳4年(1714)に再建しますが文政12年(1829)に再び火災により焼失し弘化2年(1845)に再度再建され昭和37年(1962)に老朽化の為に現在の社殿が再建されています。

大仁神社拝殿は入母屋、正面千鳥破風、銅板葺、平入、3間唐破風向拝。本殿は一間社流造、銅板葺。古くから神仏習合し江戸時代までは山王社山王宮と称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され大山咋命神社に改称し明治42年(1909)に現在の社号である大仁神社に改称しています。

 祭神である大山咋命は相撲の神でもあった為、例祭では相撲が奉納され、境内も相撲が観賞出来るように舞台のようになっています。例祭で奉納される種蒔三番叟は古式を伝える行事として貴重な事から伊豆の国市指定無形民俗文化財に指定されています。祭神は大山咋命。相殿は誉田別命、倉稲魂命、火産霊命。

出典:伊豆88ヶ所めぐり

▪️大仁神社例大祭
主催 大仁神社例大祭実行委員会 
委員長 大仁区長
 
毎年秋に開催される例大祭は、地域の伝統と人々の絆を確かめ合う大切な行事です。当町の例大祭は古くから続く神事を中心に、誰もが楽しめる催しを多彩に取りそろえており、家族連れや遠方からの来訪者も年々増えています。

祭りの目玉のひとつが、お稚児行列です。華やかな着物と冠をまとった子どもたちがお祓いや参拝を丁寧に行いながら参道を練り歩く姿は、地域全体が温かい目で見守る心和む光景。参加するお稚児さんは事前申し込み制で、地域の伝統を次世代へ伝える貴重な機会となっています。

また、勇壮な山車が町内を練り歩く山車巡行も圧巻です。地元の青年団や保存会が丹精込めて飾り付けた山車は、曳き手の掛け声とともに通りを盛り上げ、各町内ごとの個性が光ります。山車の合図で奏でられる囃子や踊りも見どころの一つです。

会場では屋台や特設ステージのほか、訪れた方に喜んでいただける抽選会も開催します。地元特産品や協賛店からの賞品が当たる抽選は、参加券をお持ちの方ならどなたでも挑戦可能。
 
 
 
 
 
 
長嶋ロード
 長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督の華麗なる偉業の陰に人並ならぬ努力があります。現役選手時代に行なっていたオフシーズンの山ごもり(自主トレーニング)。
 昭和42年~48年までの7年間、山ごもりの舞台となったのが静岡県伊豆の国市大仁(おおひと)です。
 長嶋茂雄氏の大好きな富士山が見えるこの地で毎年、心身を鍛え、シーズンに備えていました。
 
 
三番叟の由来
### 五穀豊穣と平和を願う祈り―「三番叟」の由来と歴史

日本の伝統芸能の中でも、ひときわ神聖で力強い魅力を放つ「三番叟(さんばそう)」。祭礼や祝賀の席で演じられるこの芸能は、単なる踊りではなく、人々の深い願いが込められた祈りの儀式です。ここでは、三番叟がどのような背景を持ち、どのように受け継がれてきたのか、その由来と歴史を紐解いていきます。

#### 歴史の始まり:翁猿楽からの発展
三番叟の歴史は古く、能楽の原形である「翁猿楽(おきなざるがく)」に遡ります。平安時代から鎌倉時代にかけて成立したといわれる「翁」は、天下泰平や国土安穏を祈る神聖な演目であり、その中の末尾を飾る役として登場したのが「三番叟」です。
古来より、三番叟は役者が演じるキャラクターであると同時に、神そのものをお迎えして舞う特別な意味を持っていました。能楽の舞台だけでなく、次第に民俗芸能として人々の生活の中に溶け込んでいき、長い歴史の中で洗練と変容を繰り返しながら、現代までその神髄が伝えられています。

#### 「舞」に込められた意味
三番叟の最大の特徴は、その独特な「舞」にあります。特に印象的なのは、足拍子(あしびょうし)と呼ばれる力強い足踏みです。この動作は、単なるリズムの強調ではなく、大地を踏み固めて静め、そこから五穀豊穣を促すという呪術的な意味が込められています。
黒い面をつけた演者が、鈴を振り鳴らしながら躍動する舞は、見ている人々に活力を与え、邪気を払う力があるとも信じられてきました。この舞は、身体全体を使って天と地の恵みを引き寄せる、まさに身体を通じた「祈りの形」なのです。

#### 地域に根付く伝統の継承
三番叟のもう一つの大きな特徴は、その多様性にあります。プロの能楽師によって演じられる格調高いものから、各「地域」の神社仏閣の祭礼で、住民たちによって守り継がれている郷土芸能としての三番叟まで、その形は千差万別です。
特定の村や町で、子どもから大人へと代々継承される三番叟は、その土地固有の歴史や文化を映し出す鏡でもあります。「この地域の三番叟でなければならない」という住民の誇りは、コミュニティの結束を強め、地域のアイデンティティを形作る重要な役割を果たしてきました。

#### 未来へつなぐ祈り
時代がどれほど変化しようとも、人々の「豊かでありたい」「平和であってほしい」と願う心は変わりません。三番叟は、その変わらぬ願いを身体表現として昇華させ、過去から現在、そして未来へと手渡していくバトンのようなものです。
三番叟の舞が始まると、そこには厳かな空気が流れ、時間が止まったかのような不思議な一体感が生まれます。私たちが三番叟を見つめる時、それは単なる鑑賞を超え、先人たちと心を分かち合う神聖なひとときとなるのです。

この伝統ある「三番叟」の由来を知ることで、次回の舞台や祭礼が、より一層深く、心に響くものになるはずです。古の祈りが込められたこの舞を、これからも大切に守り続けていくこと。それが、私たちが伝統と文化を次世代へ手渡す一番の方法なのかもしれません。